「松永耳庵コレクション」展

横山大観展の隣で開催されていたのが「松永耳庵コレクション」展である。こちらは、注目者が少ないためか、観客が少なかった。
 
 私は、『芸術新潮』2002年2月号で特集が組まれていたのを見て、耳庵の存在を知った。というよりも、明治以降の収集家、茶道家などのことをほとんど知らない。というのも、茶器などの茶道具はここ近年興味が沸いてきたこともある。元来、だれが何を所有しているか、どのような趣味があるのか、などのことについてあまり興味を示さないこともある。だれがどんな趣味をもとうが、私には対象となるモノしか目に入らないのだ。たとえば、この茶碗はどのような経緯でだれが所有してきた、というよりも、この茶碗のすばらしさはどこだろうか、この茶碗で茶を立てるとしたらどのようなものが必要なのか、といった想像を楽しんでいるのだ。だから、耳庵と聞いても、だれ?面白い名前だ、ぐらいにしか思わない。白洲正子?、益田鈍翁?、以下、同様。ただ、彼らがどのような茶碗で、茶会をどのように開いてきたのか、には若干の関心をもつ。自分が芸術品を見て、想像力を働かせるための基礎となるものもあるからだ。自分の想像力のために、彼らの芸術生活は役に立つ。不遜なやつだ、と批判されても、私には関係ない。現在の私にとって、芸術を見ることは、脳をリフレッシュさせ、普段の生活の活力に結びつけることや、想像を楽しむためのもの、であることが大部分を占める。だから、見る対象は古ければ古いほどよい。火炎式縄文土器なんて想像力を働かせるのにうってつけだ。弥生式土器のようなのっぺりしたものよりも、一つ一つに想像をかきたてる魅力をもつ縄文土器の方が好きだ。
 
 話を耳庵コレクションにもどそう。耳庵はその生涯の晩年に芸術に目覚めたそうである。それゆえか、かれのコレクションは有名なものが多い。長次郎、野々村仁清、などだ。志野茶碗も多い。耳庵の志野茶碗好きは有名であるそうだが、志野の素朴さとは逆に、彼の茶は豪快であったようである。豪快ゆえ、素朴を好むのかもしれない。装飾をちりばめるよりも、簡素なものから本質を見極める。
 
 他方、耳庵は珍しいもの、おもしろいものにも関心を払ったようである。牛形の酒器があげられよう。これは殷時代の青銅器で、口から体の上部が蓋になっているものである。この時期は酒器が多数みつかっているそうだが、牛の形は少ないそうである。仁清の壺は派手であるし、明朝の魚を描いた壺もおもしろい。
 
 また、耳庵は仏教に関連したコレクションも多数所有していたようである。仏像にしても、飛鳥時代のものから、新羅ガンダーラなどの仏像を所有し、仏舎利塔までももっていた。仏画も多いが、その中でも私の目を引いたものは、宮本武蔵の「布袋見闘鶏図」だ。闘鶏の様子を上から布袋様がみている、というものである。鶏を人間、布袋様を仏陀にみたてれば、人間は仏陀の手のひらで活動している小さな存在でしかない、と読み取れるだろう。布袋様を仏陀ではなく、宇宙としてもよいだろう。これは、武蔵が数々の修行から得た境地であるかもしれない。
 
 このコレクションは、松永安左ェ門という維新後の日本財界を形成した人物の、その生涯を表したものである、といえるかもしれない。