「東山魁夷」展

2月27日に三越本店で行われた「東山魁夷展」を観覧した。東山魁夷は戦後日本の巨匠といえるだろう。かれの題材は風景画が多いが、その質は非常に高いものである。なかなか都合がつかず、最終日に行ったが、その観客数は相当なものであった。今まで行く機会がなく、初めて見たが、これほどの人気があったとはと実感したものである。
彼の作品の特徴は「陰と陽」「生命力」などがあげられよう。これはこの展覧会で出品されていた作品をみての感想である。
まず、第1の特徴からみていこう。この人の絵は陰陽の捉え方がすばらしい。特に気になったのが「月」である。夜と言い換えてもよいだろう。夜空に月が煌々と輝いている情景は多分に宗教的なイメージを与える。また、地上の情景を水面を鏡に見立てて描ているのも特徴的だ。いうなれば、地上が「陽」、水面に映し出されたものが「陰」であろう。
第2の特徴は第1の特徴と関係するが、「陰と陽」のコントラストが映し出された情景に躍動感、すなわち自然の生命力を与えているようである。自然の生命力、力強さ、偉大さが身にしみるようだ。とくに、唐招提寺の壁画はこれをまさに表現しているようであり、実際、見たときには感激で、しかも、圧倒されたものだった。

こうした特徴を観覧中に感じたわけだが、他の観覧者がよってたかって見ているものと私が感動したものはいささか異なっていたことも感じた。芸術のすばらしさは、もちろん、その美しさにあるわけだが、その美しさはなにから醸し出されるかといえばそれは作者の魂から醸し出されるといえるだろう。作者が執筆先でなにを感じ、なにを考えたのか。それがダイレクトに伝わる場合もあるし、そうでない場合もある。東山魁夷という人は後者にあたるのではないか。彼の作品(出展作品だけだが)は全体的に暗いイメージ−「月」の世界を描いているからだが−があるが、その中に自然の偉大さというものを感じる。自然の偉大さとは何か。それは、我々人間を圧倒するパワーに他ならない。言い換えれば、自然の中に我々をおいたとき、我々は自分がちっぽけな存在に感じるときがあるだろう。その瞬間の感覚をとらえているのではないか。

彼の作品は芸術を語るときに欠かせないものであると強く感じたのはたしかである。芸術の歴史に名を残してきた人々の多くはもちろん、見るだけでも十分美しい作品を描いているが、それだけではなく、そうした作品を我々がみるたびに心に惹かれるものがあるはずである。美しく、心を掴んで離さない作品、それが真の芸術作品ではなかろうか。