日本史を考える

3月14日にNHKで「ニッポン!ときめき歴史館」という番組が最終回を迎えた。その日は最終回というのもあってか、日本史十大事件というテーマで行われた。我が国の歴史は島国という地理的条件もてつだって、独自の文化を2000年以上も続けてきた。我が国の歴史はアジア、特に東アジアにおいてさえ特異な文化を育んできた。最近では、伊沢元彦氏による『逆説の日本史』シリーズに代表されるように従来のパラダイムを転換させようとするものも表出しはじめている。
 今回はこうした日本史の歴史観について述べるのではなく、私が考える日本史十大事件について述べようと思う。

 第1位と第2位は混戦である。それは「明治維新」と「太平洋戦争」である。この優劣はつけがたく、頭を悩ませるものだ。前者は、現在ある我が国の社会・経済・政治の基礎をなしたものであるし、後者は戦前と戦後の大規模なパラダイム転換を行ったものである。しかし、判定を下さなければならないので、優劣をつけるとすると、第1位はハナ差で「明治維新」、第2位は「太平洋戦争」とする。日本史として考えても、インパクトの度合いで明治維新だろう。我が国が世界に躍進する契機であり、産業革命など封建的な面は残っていたが、しかし、当時のグローバルスタンダードに短期間で追いついた契機でもあるからである。社会全体を大きく変えた意味で優位性を感じた。太平洋戦争はたしかに我が国の歴史に大いなるインパクトを与えた事件であるが、それは主に思想史的な面であった。天皇の神格を否定し、我が国に民主主義をもたらしたという意味で重要であり、社会に根底的に影響を与えるのは思想史であるが、歴史の中で大いに私にインパクトを与えたのは明治維新。だれがなにをいおうともこれは私の好みの問題。

 第3位は、テレビでは関ヶ原の合戦本能寺の変を上位にあげていたが、私は「遣隋使・遣唐使の派遣」をあげたい。先にも述べたように我が国の地理的な条件として島国である。島国がゆえに文化の交流も難しい。文化の交流を図るためには海をわたらなければならなかった。遣隋使・遣唐使を派遣することで、中国との交流が生まれ、その結果、仏教伝来、漢字伝来が行われた。これらの伝来は島国がゆえに我が国の中で我が国独自の文化を生んだ。すなわち、平安時代の国風文化である。こうした意味で、遣隋使・遣唐使の派遣は歴史的にも、文化的にも重要である。

 第4位は、「ペリー来航」である。明治維新と連動するが、ペリーの来航があってこそ我が国は世界に飛び出す機会を得たといえるだろう。それ以前もオランダとは交易を続けていたものの、世界全体を相手にすることはなく、ペリーの来航が世界に羽ばたく契機となったといえるだろう。

 第5位は「日露戦争」である。日露戦争が世界に与えた衝撃は大きい。なにせ帝国ロシアを破ったのだから。たとえ、極東のバルチック艦隊を破っただけだとしても、わずか開国から100年で世界に追いついたことを証明したし、その後の中国分割においても世界に対する優位性を勝ち取った。帝国の仲間入りをする契機であった。

 第6位は「藤原不比等の登場」である。彼がもたらしたものは、律令の整備だけでなく、政治権力を皇族から貴族へと移したことが重要ではないか。皇族は祭祀、政治には関わらせない、という思想を確立させたのも彼の功績(?)だろう。

 第7位は「鎌倉幕府成立」である。源平の合戦に勝利した源頼朝は鎌倉に武家政権を樹立した。藤原不比等が貴族政治の流れを作ったとすれば、源頼朝は政治を皇族・貴族から武家に移したといえるだろう。この結果、皇族・公家は主に文化を担う結果となった。

 第8位は「鉄砲伝来」である。鉄砲の伝来は合戦にパラダイム転換をもたらした。その最たる例が長篠の合戦である。織田信長の鉄砲に対する扱いが彼を天下人にしようとしたといえるだろう。鉄砲によって織田信長が立身したといえよう。

 第9位は「柳生石舟斎の登場」である。彼の功績は剣術を剣道まで高めたことである。関ヶ原の合戦で多発した浪人に新たな就職口をもたらしたのも彼のおかげ(?)である。

 第10位は「55年体制の崩壊」である。戦後政治は自由民主党によって担われ、その対抗勢力として日本社会党が存在した。1993年の総選挙で自民党は分裂し、55年体制自民党の内部分裂によって終焉を迎えた。皮肉にもその自民党社会党が連立政権を組むという珍事もあった。この55年体制の崩壊によって我が国の政治は混乱を極めたが、自民党民主党という政党によって政治が担われている。最近の自自公の暴走ぶりをみると、うーん、ちょっと考えてしまう。

 私が考える日本史十大事件は以上のとおりである。ところどころ個人的な趣味が入っているかもしれないが、それはご了承願いたい。