読後感:大江健三郎『宙返り』

『宙返り』は、前作の『燃えあがる緑の木』から4年の沈黙を破り、発表された作品である。内容的には前作から引き続きいている、彼に言わせれば「魂のこと」を巡る葛藤を描いている。私自身、前作と『宙返り』しか大江健三郎の著書は読んでいない。しかし、この2作品から導き出されることは、現代において宗教はどうあるべきか、さらには、「心(魂)」の問題はどのように解決されるか、といった彼なりの解釈が見出せる。
彼独特の話の進め方でこの著書も物語れてゆく。彼は一連のストーリーを主人公を脇役に見立てて、物語らせるのだ。この著書では、その役目が美術教師の木津である。ここで、キャストを述べると、主人公は美術教師の木津。他に、宗教団体の指導者であった師匠(パトロン)、その補佐役案内人(ガイド)、事務所で働く踊り子(ダンサー)と萩青年、木津と男色関係にある育雄、少年ギーらである。少年ギーに少しふれると、かれは前作『燃えあがる緑の木』に出てきた新しいギー兄さんとサッチャンとの間の子供である。

物語は踊り子と育雄が幼年期にオーディションに参加するところから始まる。そのオーディションの審査員が木津だったのだ。育雄は、木津のみるところ、不思議な少年であったため、現在まで印象に残っているということであった。なぜなら、踊り子が育雄の作品にぶつかり、育雄がその作品を発表前にすべて壊してしまうという行為に出たからである。その後、木津はアメリカの大学の教員になり、休暇を利用して、時々日本に帰ってくる。日本に滞在しているときに、育雄と出会う。

こうした木津と育雄の再開の一方で、踊り子は10年前に「宙返り」をしたパトロンとガイドの事務所で働いており、財団法人の会長の命令で萩青年が事務所に働き出すという場面がある。

育雄と出会った木津は踊り子が都内の事務所で働いているという情報を得、そこに出向くということで二つの場面が一致する。
パトロンは10年前まである宗教法人の指導者であり、ガイドはパトロンの補佐役を勤めていた。その宗教法人の急進派が原発を破壊しようとする事件があり、それを阻止するためにパトロンは今までの教えてきたことはウソであるとして解散したのであった。これを大江は「宙返り」とよんでいる。その宗教法人の関西支部は教団を引き継ぐ形で残っており、物語の終わりの方に出てくる。

こうして、この6人を中心として物語は進む。ある日、ガイドは元教団の急進派のリンチにあい、それが原因で死んでしまう。ガイドはパトロンにとって、かけがえのない人物であり、パトロンが神と会話した内容を伝えるという重要な役割を果たしていた。ガイドが死亡した結果、パトロンは木津を新しいガイドに任命する。木津は絵描きなので、パトロンの言葉を絵で表現するよう、頼まれる。

パトロンが新たな教団を建設するという方針が表明され、その建設予定地として四国の山村がターゲットとなる。その土地というものは『燃えあがる緑の木』で舞台となったところである。この土地は以前から宗教的な要素が強い土地柄であり、先に触れた新しいギー兄さんとサッチャンが作った教団「燃えあがる緑の木」の舞台でもある。ここに作られた新しい教団「新しい人の教会」には東京の事務所の人々に加え、神奈川で密やかにすごしていた「静かな女たち」、急進派の「技師団」、関西本部が主体となった。この教団「新しい人の教会」の外郭団体として機能したのが「童子の蛍」という組織である。この組織のリーダーが少年ギーである。

教団「新しい人の教会」は全国大会ともいうべき「夏の集会」を行う。この夏の集会はパトロンの説教、そして、教団「燃えあがる緑の木」の設立者の新しいギー兄さんとサッチャンが燃やした木を新しい船出として完全に焼き尽くすというイベントが用意された。新しいギー兄さんが木を燃やすくだりは『燃えあがる緑の木』の第3部を読んで欲しい。説教の後のイベントでパトロン焼身自殺をする。その焼身自殺を行った背景には、「宙返り」を行ってから10年後に新たに設立した「新しい人の教会」内部の問題やパトロンの心的問題が大きく関わっている。パトロンは「新しい人の教会」の設立に当たって、「反キリスト」を掲げる。この「新しい人の教会」はこの土地の伝統的な影響、すなわち、「壊す人」の影響を受け、無意識のうちにその影響を受けていた。物語の終盤になると、パトロンは救い主というよりも、過去の行動を断ち切る行為をその土地で行ったのではないかと思えるフシがある。

この物語は、過去の作品同様、彼自身の宗教観が見られる。この点については、この作品の醍醐味であるから、ここで述べるのはよそうと思う。

この物語が大江にとって、沈黙を破る作品であることは間違いないことである。そして、さらなる飛躍を求める終わり方になっているように見うけられる。次作に期待したい。