ラストサムライ

1月の上旬にこの映画を見た。普段、映画を見ることはあまりなく、年に1回みればいいほうだ。そんな私がこの映画を見ることになった理由は、ただ一つ。アメリカが生んだ時代劇だからだ。

時代劇も諸般あるが、日本ではテレビが中心となる。伝統的なものをあげれば、水戸黄門銭形平次になるだろう。ただ、私がNo.1と思うものは、『鬼平犯科帳』だ。小説も秀逸であるが、映像もすばらしい。私は中村吉右衛門主演のものしか見ていないが、まさに小説とぴったりだ。小説から受けるイメージと見事にシンクロする。江戸の風物、人情、殺陣、いずれをとっても見事な表現だ。いまだこれを超えるものをみたことがない。これに追随するのは、NHK大河ドラマ独眼竜政宗」ぐらいだろう。

ラストサムライに戻ろうと思ったが、私の映画に対するスタンスを少し述べよう。
映画は私の生活ではほとんど入ってこないし、非日常的時間となる。いわば、映画という映像自体にそれほど重点を置いていない。映像は視聴者の想像性を多少問わず損なわせると考えているからだ。それゆえ、映画は、製作者の意図と合致した人々のみに、その有効性を発揮するように思う。

ラストサムライはどうだったか。普段映画を見ないから、その筋の情報は無論私には入ってこない。それゆえ、世間の評判と異なるかもしれない。この映画は、主演が助演に変わっているため、焦点がぼけている。トム・クルーズが主演であり、アメリカ人から見た明治維新を描こうとしているにもかかわらず、時代劇としての完成度を渡辺謙に頼りきっているため、映画の主張が弱くなっている。また、明治維新の歴史的背景をしらなければ、ただハリウッド版の殺陣を見せられるだけになっている。ストーリーがうまく表現されていないために、「侍」を理解するのに困難をきたす。まあ、この辺は、製作したアメリカ人の理解のレベルなのかもしれない。

ひるがえって、この映画のすばらしき点をあげると、殺陣のシーンだ。最後の戦闘場面は、日本では決して作れない画だ。映画の合間のシーンも同様。カメラが個々を肉薄することで、臨場感がすごい。馬蹄、喚声、ぶつかりあう音、火気類の音、いずれも映像を見ている我々に音の衝撃・震動をもたらす。これはハリウッドならではだろう。

以上が感想である。正直なところ、もう一度見たいとは思わなかったし、世間がいうほど感性をかき立てられることもなかった。これがアメリカが作る時代劇の限界かもしれない。