日本対ウルグアイ 観戦記

英米イラク戦争の影響から、この試合は紆余曲折を経て、3月28日に東京、国立競技場で行われることになった。従来の予定では、ウルグアイアメリカ代表との対戦、すなわち、アウェーでの2試合が想定されていた。単純にいっても、2試合と1試合では、メンバー構成や戦術、フォーメーションをテストする余地がまったく違う。ジーコの中では、アメリカ遠征の2試合のうち、1試合はJリーグで主流となっている3バックを試すはずだったであろう。また、代表での経験値の少ない選手の出場もあったかもしれない。そういう意味では、中東における戦争態勢は大打撃であったに違いない。したがって、この対戦は昨年同様のフォーメーションを組み、やや固まりつつあるメンバーのコンビネーションを深める場となったといえよう。
 
1週間の合宿とウルグアイとの対戦という実戦の場を振り返ると、主たる目的であろうコンビネーションは深まったのだろうか。実際のところは深まったようには見えなかった。欧州の中盤4人がおりなす攻撃パターンは昨年同様のものであり、ディフェンスラインと中盤との溝は埋まっているように見えないのが正直な感想だ。ウルグアイが3バックであり、中盤の人数が多いだけに、日本にとって中盤のスペースは少なかった。サイドの上がりも少なく、FWとMFの6人で攻撃している印象は強い。ウルグアイが3バックのディフェンスラインを引き、そのサイドにはスペースが生まれるわけだが、そのスペースを埋めるべく、日本の両サイドが上がり、チャンスを作るということができていなかったのだ。サイドの上がりが遅いとすると、中盤において、ボールが動かなくなる。いわば、中盤でボールをためるというより、ボールを持たされている状態が続く。それゆえ、攻撃のスピードは落ち、相手の守備陣形が整う時間が増える。相手の守備陣形が整えば、相手の方が人数が多いわけだから、攻撃を展開することはできない。それゆえ、中央突破を図ることになってしまい、ゴールへの道は遠くなる。
 
前半は、小野と中村のよく考えたポジショニングで攻撃のスピードをあまり落とさずにゴールへと向かえたが、後半はそれが出来ていなかった。後半は、ウルグアイが長旅の影響から引き気味のフォーメーションをとり、カウンターを狙う戦術に変えた影響もあるが、日本の攻撃的MFとサイドバックのポジショニングがかぶるシーンが見られた。こうなると、中盤が立体的ではなく、線形となり、分厚い攻撃ができなくなる。中盤でボールを持つ選手がスペースを得るためにサイドに広がり、本来サイドバックが侵入すべきスペースに入ってしまう。すると、サイドバックは上がることができず、攻撃にからむことができない。逆にサイドへ移動する中盤の選手が本来埋めていたスペースを相手の中盤に支配され、カウンターをやすやすとゆるすことになる。
 
中盤でボールを持つ選手がサイドへ逃げてくれるので、相手のディフェンスはやりやすい。後半の稲本のゴールは、後半の立ち上がりであり、相手の守備陣形が整う前にスピーディーな攻撃ができたからだ。同点になり、ウルグアイが失点を恐れるようになると、日本の攻撃は緩慢になり、逆にウルグアイのカウンターのえじきとなった。サイドを突破することができず、得点を意識し、スペースのない場所に両サイドバックがあがると、サイドバックが支配すべきスペースを相手に渡してしまい、ウルグアイのサイド攻撃をさせてしまった。
 
この原因は複数あるように思われる。一つは、ジーコがどのようなコンセプトでサッカーをするのか、ということが不明確であり、選手に浸透していないこと。二つ目は、コンビネーションの問題。三つ目は、守備的MFがいないこと。後半、守備的MFに中田浩二が入ったが、スピードのない攻撃を繰り返していた攻撃陣に加わるため、かなり高いポジショニングをし、中盤でのバランスをとることを怠ったように見えた。これは中田浩二一人の問題ではなくて、4−4−2フォーメーションの醍醐味である両サイドバックの攻撃参加をゆるすだけの攻撃スピードがなかったことが原因だ。空いているスペースをどのように活用するか、という課題が解決されていないのだ。守備に専念させるぐらいの守備的MFを置くことで、両サイドがあがった場合の守備を軽減させ、逆に、カウンターをくらった場合にディフェンスラインに入れるだけの守備能力をもつ選手がいるだけで違うだろう。
 
私のみたところ、昨年となんら変わらないという印象だ。若い選手を多用し、アウェーの経験を積ませたウルグアイは有益であったろうけれど、日本はホームでなんとか引き分けた、という結果だけだ。黄金の中盤というイメージだけが先行し、華麗なパスワークに酔うだけでは勝利できない。次回の韓国戦が正念場となるだろう。あるいは、6月終了時点で責任問題が発生する可能性もあるだろう。