日本対レアル・マドリード 観戦記

前回のホンジュラス戦がワールドカップグループリーグの戦い方とすれば、このゲームは決勝トーナメントを想定したものと見てもよいだろう。レアルが最強メンバーでこなかったのは残念だが、チームのポテンシャルを十分に感じることはできた。すなわち、トップからサブまでしっかりと監督が意図する戦術が浸透されている、ということだ。どの選手が入っても、やるべき仕事は選手ごとに理解されている、ということでもある。
 
対する日本はどうであったか。この試合に関しては、昨年よくみられた名前負けはなかった。レアルという世界を代表するチームであっても、普段と同じ、いや、それ以上の闘争心をもって戦った。名前に怯えるのではなく、逆に闘争心をかきたてるメンタリティーを得たのである。敵地で戦う、強国と戦う、という経験がいままさに生きてきたといえるかもしれない。世界を知ることが精神面を鍛えることにつながることが証明されたゲームだろう。これに代表されたのが稲本であろう。キリンカップを通じて稲本のコンディションが不調であったのは見た目に明らかであろう。それが、このゲームでは見られなかった。昨年の好調さを取り戻したのであろう。ボランチとして中盤の守備を堅実にこなしつつ、持ち前の攻撃力を発揮し、攻撃の突破口をひらくことができていた。ただ、この稲本の攻撃性は戸田や明神の守備があったことも忘れてはならない。
 
世界の強国に対して日本の守備が十分に通用することはフランスワールドカップから分かりきっていることである。攻撃力をどうするのか。世界に通用する守備力を得たうえに、守備から攻撃に移るためにどうするのか。それがトルシエに課せられた問題でもある。その解決策としてトルシエが選択したのがフラット3である。フラット3は決して守備のための戦術ではない。攻撃に人数をさくために最終ラインを3枚にしたのである。前線から中盤にかけて積極的な守備、いわば、攻撃のための守備をすることが求められる。いかに早く相手ボールを奪い、攻撃を仕掛けるか。そのためには、闘争心をかきたて、果敢にチャレンジするメンタリティが必要だ。この意識がこのゲームに非常に表れていたと思う。つまり、日本代表が世界と戦うための精神的な準備ができた、といえるだろう。このゲームで不足していた攻撃のオプションは、小野と中田英が加わることによって解消されよう。
 
最近気づいたことがある。久保の顔である。久保の顔が戦う男の顔になってきたのである。久保はもともと気性を顔に出さないタイプだが、ピッチに入るときの顔がよくなった。自らの意思で戦うことが見えるようになってきた。小野、中田英とのからみをオスロで見たい。きっとゴールを決めてくれるはずだ。オスロで久保が化ける。久保のポテンシャルは世界に通用する。攻撃の要となる小野と中田英がそれを引き出してくれるだろう。