長谷川等伯「松林図屏風」展

出光美術館で開催されていた「長谷川等伯・国宝・松林図屏風」展をみにいった。長谷川等伯は、安土・桃山期の代表的な画家の一人である。彼の作風は、同時期の狩野永徳にくらべ、素朴、無骨といった印象を与える。これには、雪舟の影響をうけ、中国へのあこがれをいだいていたこともあろう。
 
当該画には「静かなる絵」というキャプションがつけられていた。正直なところ、この副題というか、テーマは私の受けた印象とはまったく逆のものである。この展覧会には、等伯の作画が歴年式に陳列されていたが、それには「動から静へ」というテーマが付されていた。私が受けた印象は、年を経るにしたがい、「動を内在する静」へと移行してきた、というものである。明らかに見た目に「動」のイメージを与える対象から、一見「静」に見える対象の中に「動」、いわば、対象の「力」をかもしだす作風になった、というのが私の分析である。
 
中国の墨絵の多くは、山、とくに、雄大な自然をありありと表現できる山脈を描くものである。他方、日本では、「松」がその対象として取り上げられることが多い。わが国の代表的な対象物である松をこれほどみごとに描いたものはない、と感じた。えもいえぬ感情、見た瞬間にしびれる、なんともいいようのない感覚であった。
 
その感覚を自分なりに分析してみれば、松と空気の調和がすばらしいといえるかもしれない。濃霧の中に松がぼんやりと、しかも、その存在を明示するパワーを感じた。もう1点だけ付け加えるとするなら、それは空間のバランスのよさであろう。描かれた対象は無論重要であるが、その対象をうかびあがらせる間の取り方がよくなければ描かれた対象のよさはひきだされない。日本画、とりわけ屏風となると、その「間」、「空間」といった要素が非常に重要になってくる。いま、思いついたのであるが、「パワー・バランス」という言葉がふさわしいようにおもう。描かれた対象とそれをとりまく空間のバランスが重要である、ということだ。描かれた対象のパワーは見た目に明らかであるが、それをとりまく空間のパワーも重要である。描かれた対象とそれをとまく空間の力関係は表裏一体のものでなくてはならない。
 
先日観覧した横山大観の屏風の欠点はここにある。対象と空間のパワー・バランスがいかに重要であるかは、この二つの事例がよいだろう。また、このパワー・バランスに秀でているのが琳派であるし、時間軸でいえば、室町終期から江戸にかけての時期が該当するであろう。