「国宝・醍醐寺」展

先日、東京国立博物館・平成館で行われたいた「醍醐寺」展へいった。醍醐寺は874年に空海の孫弟子の聖宝・理源大師によって開山された。醍醐寺は京都の伏見にあるそうだ(まだ行ったことはない)。約1100年後の1994年に世界文化遺産に登録されたという。世界文化遺産に登録されるぐらいの寺であるから、国宝・重文クラスが大量にある。その秘宝を一般に開放したのが今回の催しであろう。
 
展覧は絵画→文書→工芸→仏像となっていた。入るとすぐに、如意輪観音菩薩坐像があり、しばしその美しさに圧倒された。絵画は、寺らしく仏画がおおく、そのほとんどが不動明王などの仏法関連が多い。そのスケールはおおきく、見ていてあきることはなかった。仏画以外では国宝に認定されている俵屋宗達の絵画が目をひく。宗達の絵は、「芦鴨図衝立」や「舞楽図屏風」、「扇面貼付屏風」があるが、舞楽図屏風がよかった。これが一番仏教らしいという理由である。風神雷神につながるものでもあろう。安土桃山期らしく金箔の背景であり、その荘厳さはよい。
 
書はまあ読めないのでいまいちピンとこないが、歴史上有名な人々の文字をみるのもよいだろう。読めない、知らないのでわけがわからないというのが本音である。
 
仏像は作者不明が多いのであるが、その出来は素晴らしい。おもわず手を合わせたくなるような気分にさせられる。あの場に賽銭箱があればみんないれていただろう。そういえば、昨年の秋口に東武美術館で開催された京都大原三千院の名宝展ではたしか賽銭箱があった気がする。いずれにせよ、薬師如来阿弥陀如来大日如来不動明王などの仏像が一堂に会すると、もう圧巻である。いうことなし。これぞ日本仏教の粋だ。こんな気分にさせられる。
 
この展覧会に行ったあと、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」をよみ、展示の照明の様子がオーバーラップした。谷崎潤一郎は「陰翳礼讃」で、日本は闇や陰を尊ぶということを証明している。金は闇ではえる。仏像はほとんどが金メッキであり、薄明かりのなかでは抜群の映えをする。陰を尊ぶ、これはまさに仏教文化に直結するのではなかろうか。安土桃山期が黄金で彩られたのも闇や陰との対照をうまく引き出した結果かもしれない。だから、それを無視した照明をする美術館はなんら分かっていないことになろう。ただいままで通った美術館にはそういった照明をしたところはないのでしばし安心した。琳派の派手さも、現代のなんでも白日の下に照らす照明では派手に見えるかもしれないが、太陽の光のみ、月の光のみという環境であれば、もっと奥ゆかしさも感じることができるだろう。そういえば、以前、渋谷のBnkamuraミュージアムで行われた琳派展に行ったことがあるが、たしかに展示品は一級のものであるのだが、あまり面白くなかったのだ。これは照明が明るすぎで日本伝統の陰をないがしろにしたからかもしれない。陰の効果をあらためて感じた展覧会であった。