オリンピック観戦記-女子マラソン篇-

ゴール後のコメントは忘れられないものとなった。「楽しかった」と彼女は述べた。有森の自分をほめたい発言以来である。
 
女子マラソンのオリンピック代表の高橋尚子を知ったのは去年の名古屋国際マラソンの直前である。実際バンコクアジア大会のことは記憶にない。バンコクでのアジア大会で、高橋は2時間22分台をたたきだした。赤道直下のバンコクでこの記録を出した。しかも、独走。このような映像と記録を見て、名古屋に臨んだ(もちろん私がである)。高橋にとって名古屋はバンコク以来のマラソンであったという。しかも故障明けで。ここで彼女の強さを知った。それは「レースを自分で作れる」ことだ。序盤の5キロ17分台のペースに彼女は不満を募らせ、16分台を刻み、見事優勝した。このレースを見た私は先走ってオリンピックでの金メダルを確信した。
 
どの競争においても、レースを自分で作れるのは格の違いを見せつけることである。競馬でもそうだ。絶対の自信がない限り、自分でレースを作ることができない。スピード、スタミナ、それを支える身体能力。そして精神力。これらが他の選手を凌駕していないと、できない芸当である。これをやってのけた競走馬は私の知る限りトウカイテイオーしかいない。ただトウカイテイオーは能力を支える肉体が追いついていなかった。
 
オリンピックで高橋は再びレースを自分で作った。17キロで我慢できず、「体と相談して」16分のラップを刻み始める。それについてきたのは歴戦の古豪シモンである。32キロ付近でさらに加速し、シモンを振り切り、独走でゴール。
 
どこから湧いてくるのか知れないスタミナ。ゴール後の余裕。これを名古屋で見たときと同様、シドニーでやってのけた。やってのけたというよりも、当然のごとくに見えた。レース中にもそれほど苦しい顔をしない。「走るのが好きで好きでたまらない」という高橋。レース中やレース後の彼女を見ると、本当にそうなんだなあと感じる。
 
オリンピックの記憶が始まるロサンゼルス以降、最も、そして今後みることができるかどうかわからない、最高のレースであった。これほど陸上という競技を見て感動し、鳥肌がたったものはないし、今後経験できるかわからない。