厩務員のストについて

4月3日に厩務員のストライキによって、中央競馬が中止になったことは各種マスコミによって周知の通りである。私はインターネット上で、知ったわけだが、この中央競馬の中止は私に大きな衝撃を与えたと同時に新たな発見をもたらした。
 
4日の日経新聞によれば、厩務員は年収8百余万円をかせぎ、その雇用は定員制のために、リストラなどの風に流されないらしいのである。一般的に見れば、サラリーマンの年収平均は600万から800万円で常にリストラの影におびえなければない。このようなサラリーマンの境遇よりもはるかに高い収入を得て、雇用も安定していることを考えると、何故賃上げストライキを行わなければならないのか理解に苦しむ。確かに、1日も休むことなく、馬の世話をしなければならないという拘束性は高いかもしれないが、その見返りというものはサラリーマンの上をいくものである。すなわち、ハイリスク・ハイリターンである。ハイリスク・ハイリターンであるが、たとえ失敗してもその就業機会を失うことには直接結びつかない。いわば、ローリスク、ハイリターンと言ってもよいだろう。
 
また、視点を変えると、競馬の関係者に大きな損害を与えたことも見逃せない。日本中央競馬会(JRA)の興行収入はゼロであるのはもちろん、競馬場やウインズの飲食店の従業員や専門紙、印刷会社の従業員へとその経済的影響は計り知れない。これらのものよりも、ファンへの信用を失うことが最も痛い。競馬はファンあってのものであり、JRAや馬主、調教師、厩務員、騎手が先にくるものでは決してない。ファンが馬券を買うことによって成立するのである。ファンに馬券を買ってもらうためには、ファンの購買意欲をあげる番組編成や馬券の種類(JRA)が必要であるし、強い馬が必要(馬主・調教師・厩務員)である。その華やかさを出すためには騎手が必要である。こうしたファンを無視し、閉鎖的な競馬社会というものは今後うけいられなくなることは必至である。
 
定員制というぬるま湯につかって、安穏とすごし、ファンはなにも知らないという奢った考えのある競馬社会はもはや決して必要のないものである。現在のこのぬるま湯につかり、既得権益固執してきた官僚と源泉が同じである。最近では、騎手や調教師はファンが大事と考えるようになってきてる。そして、その職業が競争によって維持されることも十分理解していると思われる。そうした周りの考え方の変化が厩務員に行き渡っていないということを証明したのが今回の事件ではなかろうか。少し言い過ぎかもしれないが、ファンによって我々は生かされているという考え方が重要であろう。今回のストライキはこうした競馬社会の非現代的というか、閉鎖的な部分が露呈した事件であると言えよう。