サッカーくじについて

昨年衆議院を通過した「サッカーくじ法案(スポーツ振興くじ法案)」は過去6年間にわたってさまざまな物議を醸し出してきた。
 
サッカーくじはイタリアなど海外でも活用され、スポーツの振興に役立っている。日本でサッカーくじを導入する場合、スポーツを統括してる部署は文部省であるから、サッカーくじの胴元は文部省ということになる。文部省は特殊法人の所有が各省に比べて少なく、このサッカーくじによって新たな天下り先ができることになる。さらに、農林水産省のJRAや運輸省の競輪、通産省競艇科学技術庁オートレースなど各省庁がギャンブルによって利益をあげていることも文部省が積極的に動く一因となっているのではないか。
 
サッカーくじの導入に対し、日弁連や主婦連などの圧力団体は真っ向から反対してきた。その反対理由は一様に「青少年への悪影響」である。各団体の反対理由にはなんら根拠がなく、いまさらサッカーくじ程度の当選確率で非行に走るのだろうか。各団体は競馬場へ足を運んだことがあるのだろうか。競馬場へ行くと、中学生と思われる年齢の人々があふれ、馬券発売機や払い戻し機に平然として並んでいる光景をみたことがあるのだろうか。まあ、立場的に反対に回るのいたしかたないが、その反対するにも根拠が必要なのは言うまでもない。教育を司る文部省が胴元になるのはおかしいという意見はもっともであるが、数々の官僚の不正をみればなにをいまさらという気になる。教育という気概を感じるのは文部省ではなく、現場である。サッカーくじが導入されることが決定した現在、青少年への悪影響がどうのこうのというのは国会ではなく、学校や家庭である。
 
サッカーくじはギャンブルである。19歳未満は購入できないという制限がある以上、ギャンブルである。くじという用語が使われたのは妥協の産物であろう。「ギャンブルは悪である」という概念ももはや古い言い回しである。JRAによって競馬というギャンブルは女性層の心をつかみ、クリーンなイメージやレジャーとして日本人に認知され始めてきている。もはやギャンブルは娯楽の一種となっている。
 
また、スポーツに対する予算が少ないのも問題である。少ないからこそ、こういったギャンブルによって資金を賄うことになる。スポーツ振興予算を増資することこそ青少年ひいては高齢者への良い影響を与えることは間違いない。サッカーくじがスポーツ振興を担うことは間違いのない事実である。しかし、サッカーくじに頼るのも問題である。12月や3月に見られる道路工事に代表される公共事業が予算を保つために無用であっても行われている現状は多くの人々が疑問を感じているであろう。予算を使いきらなくては次年度の予算が減るために年度末に突貫工事を行うことになんの意味があるのだろうか。必要のない工事を行うのではなく、足りない部分に予算を使うことが重要なのである。各省庁の既得権益を守るための工事は必要ないのである。現在の青少年の運動能力の低下や数々の非行や暴力問題にこそ予算が必要なのである。スポーツ振興予算を獲得する手段としてサッカーくじが利用されるのはよいことであるが、縦割りを解消し、重要度別に予算を振り分け、文教予算に多くの予算を配分することが求められていると思われる。
 
サッカーくじが抱える問題はサッカーだけに限らず、教育や行政と大いに関わっている。いま求められることは、縦割り行政を解消し、予算編成に柔軟性を与え、文教費への配分を多くすることである。サッカーくじがただ単に青少年への悪影響があるという反対意見に終始せず、こうした教育や行政にへも目をむけるべきである。サッカーくじが成功することを大いに願うばかりである。