翡翠展

かひぃの強い要望で雨中にでかけた。
会場の国立科学博物館はおそらく小学生以来になるだろう。
玄関をかざるD51シロナガスクジラは健在。
しかし、案内されたのは奧にある新館。
構造がはっきりわからないので係員の指示に従う。
雨だったので、入口で傘をたたもうとすると、チケットを見せてくださいといわれ、ちょっと腹たった。
傘をたたんで、傘をビニールに入れて、ハンカチで濡れた手を拭いたところで言われればこちらも納得するけど、濡れたままでチケットをみせてくれとは。
中に入ると、これまた会場の入口が雨に濡れるところにある。
透明なガラスで上が覆われている(幅2〜3m)ものの、雨が吹き込んでくる。
ロッカーも外にあり、なかなかスムーズにいかない。
そのガラスの天井が長さ10〜20mくらいだったかな。
天井あるのに濡れるという構造的欠陥に来館したおばちゃんもキレていた。
我々は、その入口に気付かず、近くにいた係員に聞いたところ、常設展示室を抜ければいけますよ、といわれ、濡れずにいけた。
そんなわけで、身軽に観覧するためのロッカーのありかも知らず、チケットをもいでもらった。

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入るまでは不満たらたらだったけれど、展示室に入れば気分は一転。
知らぬことが多く勉強になった。
学問上、翡翠は世界で6箇所でしか採掘できず、翡翠という石はごくわずかしか採れないらしい。
翡翠に似た軟石は大量に発掘できるものの、実物を見比べると良く分かる。
なぜ世界で6箇所なのか、というと、プレートが関係している。
大陸プレートの或る場所にしか生成されず、好条件が必要らしい。
地震の多いアジアにその採掘点は集中している。
地震大国日本、津波による大災害をもたらしたミャンマー付近、チリ地震の付近のグアテマラ、それにロシア。
日本ではフォッサマグナの起点となる糸魚川河口付近が主要な産地となっている。
翡翠は歴史的に重宝されてこなかった。
最初に注目されたのは縄文末期から古墳時代
勾玉に代表される装飾具として利用された。
縄文時代には主産地である糸魚川から東の東日本で流通。
弥生時代になると中国山地で採掘がはじまり、西日本に流通。
古墳時代には全国的に流通されるようになった。
全国展開される古墳時代を過ぎると、日の目を見ることはなくなった。
そのあたりの理由はよくわからなかったが、おそらく対外貿易が始まり、金銀が流入してきたからだと思う。
金銀は歴史上貿易の代替貨幣であり、貴重性に富んでいた。
それに対して、翡翠は代替貨幣になるほど産出せず、加工も難しかった。
金銀銅は熱して型にいれれば量産できるが、石の翡翠は研磨加工に技術が必要だった。
翡翠が二度目に注目されたのは近代以降になる。
現代では鑑定技術も進み、科学的に翡翠と呼べるものが限定できるようになった。
それゆえ、貴重さが高まり、装飾具用として重宝されるようになったようだ。
というような概要が学べるのが前半戦。

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後半は中国の清朝を代表とする加工品の陳列。
逸品ばかりだが、主に使われる石は軟石。
やはり翡翠ににて美しく、加工しやすさがあったのだろうか。
加工技術が進み、現代に近づくと翡翠での加工品も多くなる。
現在では糸魚川付近は採掘禁止地域になっているようで、ミャンマー産が多いらしい。
実際みてみると、内に秘めた美しさに惹かれている自分がいたことに気づいた。

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展覧会のホームページ
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2004/jadeite/
国立科学博物館のホームページ
http://www.kahaku.go.jp/