読後感:<子育て法>革命

自分自身の場合としては子育てというイメージはすんなり入ってこない。
子育てのサイクルもよくわかったおらず、飴と鞭を使い分けることが難しい程度にしか認識していない。
弟が二人いるが、一番下は10歳年齢が違うから、リアルタイムで見ているとはいえ、親が自分の見えないところで何をしてきたのかは明らかではない。
この著書は戦後の厚生省が発行する母子手帳の副読本に注目する。
この副読本は度々改訂されているらしく、その改訂には子育てに関する方法の変更が伴われているらしい。
近年の潮流としては、子どもと触れ合うスキンシップが重視されている。スキンシップが重要だとはいえ、程度の問題であろう。常に子どもと関わっていなければならない、というような強迫観念らしきものもあるようだ。子どもを大切にしなければならない、という思いが母親一人養育の犠牲者と認識し、我慢の限界を超え、幼児虐待に走ることもあるようだ。
この潮流の前の方法というと、和洋の二通りの方式があったようだ。洋の方は単純で、個を確立するための子育て方法。基本的に放っておく。食事や用便以外は泣いても放置する。一緒に寝ない。まあ、あまやかさないということだ。
和の方はそれほど単純ではない。基本的にはスキンシップを重視する路線か。子育て法があるようなないような。地域地域で異なる傾向が強いようだ。農村であれば、母親一労働者として働かなければならないから、放任気味になる。
1980年代くらいまでは和洋折衷的な面が強かったようだ。
最近に戻れば、子どもと常に関わることが重視されるようになると、基本的にあまやかす傾向になる。我慢を教えられない、いやその前に親が我慢できなくなるのか。食事と用便以外は泣いていても放っておく西洋式は親が我慢しなければ成り立たない。どの時点で我慢を覚えさせるのか、という時期の問題になってくるのだが、そういうことは早いうちに覚えさせておいた方がよいのは当然に感じる。
親の方が我慢できなくて、あやして機嫌をとろうとしたり、テレビに向かわして放置しておく、などになってしまう。すると我慢を覚えることなく学校に入ると思うようにいかない。学校に入って初めて我慢ということを知る。
表題に革命と入っているけれど、1980年代の改訂で内容が一新されたことを受けてのことと思われる。ただなんとなく悪い方へと向かっているような。善悪は個々人の主観に過ぎないのは承知しているけれど、教育を志した者としては大いに不安ありかな。