日光旅行(2)

翌9月22日、朝起きても、依然として雨は降り続いていた。長袖を着ても寒いぐらいで、早朝の散歩も早々と中止した。雨さえ降ってなければ、湯の湖も散歩にふさわしいところだったろう。
9時半ぐらいに宿を出発。目指すは日光東照宮。出発ころになると、雨はほとんどあがっていた。行きとは逆に湯の湖の脇をとおり、左手に中禅寺湖をみる。

東照宮の付近にきても、駐車場の場所がいまいちわからない。駐車場の案内がやや分かりづらいのが難点。まあ、自分の車で行くのは初めてだから、仕方ないところか。適当に小道を入り、駐車場を見つけた。

平日ゆえか、それほど観光客も多くない。初めに足を踏み入れたのは、東照宮。過去、何回か行っているが、何度来てもその豪華さは変わらない。来訪者を悠然と迎えいれる陽明門は磐石だ。できた当時はあざやかな朱色だったと思うが、朱色が変色し赤に変わっても、その変色が歴史を感じさせる。歴史を刻んだ赤だ。三猿、眠り猫、鳴き龍、といったメジャーなところはもちろん、閑けさを漂わす家康が眠る墓所も趣深い。つなぎ目のない石をふんだんに使い、石段を形成する。当時をしのばせる風景だ。歩道も狭く、墓所に向かうのは限られたものだけであることもわかる。東照宮全体が家康を祭るものであるので、その一つ一つが計算された美しさをはなつ。先人を偲び、かつ敬意を表する。豪華さだけが注目されやすいが、霊所であるがゆえの閑けさも感じられた。
 
東照宮に向かって左手に家光の墓所がある。家光は家康を慕っていただけに、その造りも東照宮に似せてある。東照宮ほどの派手さはないものの、森の中にたたずむ大猷院は、見事だ。大猷院の上から東照宮を眺めると、木々の間から東照宮が見え隠れする。

東照宮の域内に輪王寺がある。そのお堂にある仏像もすばらしい。一般の参拝はちょうど仏像の下をとおることになっていた。下から眺める形だからかもしれないが、その迫力に圧倒された。黄金に輝く仏像は、参拝する人々の思いをすべて包み込むような大きさを感じた。おもわず手をあわせたくなるような尊厳さをはっしていた。お堂の向かいに日本庭園がある。明治天皇東照宮に来た際に宿泊していたそうだ。それほど大きくないものの、均整のとれたものだった。庭園をぐるっとまわりながら、草木、あるいは、そこに息づく生命を感じることができた。


東照宮は、派手さ、豪華さが目につき、むろん、それが魅力の一つである。だが、それだけが東照宮の魅力ではない。東照宮がどのような思いで作られたか。そして、東照宮を囲むさまざまな建物。それぞれが孤立しているわけではなく、一体となって東照宮全体を創造している。限られた時間ではあったが、いままで気づかなかった部分に目を向けることができた。おそらく、いままでは東照宮を味わうことができなかった。今回、東照宮に行けたことで、少しでも東照宮を味わえたと思う。

急ぎ足な旅だったけれど、さまざまな味わいを得ることができた。「味わう」ためには、幾度も足を運ぶことも必要であるし、日々の生活で意識していくことも必要なことだ、と感じた。