キリンカップ 観戦記

アルゼンチンとパラグアイは対照的なチームである。アルゼンチンはワールドカップ2回の優勝を誇り、王者のサッカーをする。パラグアイはアルゼンチンやブラジルには劣るものの、南米の古豪であり、強豪である。それゆえ、今回の2試合の展開も対照的になった。
 
アルゼンチンは王者の戦いをした。早め早めのプレスでボールを奪い、フィニッシュまで持ち込む。2点目が象徴的である。左サイドのサネッティ中田英からボールを奪うと、稲本を振り切り、サビオラとのワンツーから強烈なミドルを放った。そのスピードに日本は対応しきれなかった。1点目と4点目は日本のディフェンスラインが下がりすぎ、ボランチとのバランスも悪く、そこを突いた攻撃であった。最終ラインとボランチのバランスが悪いため、そこにスペースを作ってしまい、アルゼンチンの思うがままにプレーさせてしまった。そのスペースを有効活用したのがアイマールであり、アイマールが攻撃の起点であることは明らかであるのに、彼にプレッシャーをかける選手がいなかったのは日本の手落ちである。中盤でバランスを崩していた日本に勝機はなかった。まさに5月31日の日韓戦のリプレーを見ているようだった。ディフェンスラインがずるずると下がり、両サイドバックのプレスもなく、サイドを有効活用されては失点の可能性は増すばかりである。韓国だから1点で済んだのであり、アルゼンチンクラスになると3、4点は仕方がないところだろう。前からの守備が重要なポイントであることを再度認識させられた。
 
攻撃も日韓戦と同じである。FWが前を向いてボールを持ちたいばかりに、サイドに流れてしまい、中央でボールを受けることができなかった。中田英が入ったことで多少緩和されたが、それでも決定機を作り出すことは困難である。大久保と永井が入って、スペースを狙う動きが活発化し、次回につながる攻撃ができるようになったのは救いだろう。
 
完敗したアルゼンチン戦を受け、ジーコはメンバーの総取替えをおこなった。サブといっても日本代表である。パラグアイが引き気味で守備をするといっても、ある程度の苦戦は強いられると予想できた。それでも今まで出場機会がほとんどなかった選手が出場できるとなれば、そのモチベーションはいやおうにも高まる。代表で先発してプレーするというモチベーションがある限り、チャンスを待ち、そのチャンスが巡ってくればそれなりの結果を残そうとする。そのハングリーさがこの試合で見られたような気がする。中盤を支配し、相手に決定機をあまり作らせなかったのは評価に値する。ディフェンスに関して結果を残したということである。無失点で終わることができたのは4月16日の韓国戦以来の2試合目である。その試合を基準とすれば、守備に関してはだれが出場しても変わらないことだ。それゆえ、アルゼンチンに4失点し、それを受けてのパラグアイを無失点ということを踏まえれば、今まで先発していた選手に絶対はないことが証明されたであろう。この試合によって、選手間の競争は再び活性化するだろう。
 
攻撃についても、中盤でボールを支配することができ、両サイドが高い位置でプレーでき、決定機を幾度も作り出すことができた。中盤でボールを支配することで、FWが左右に開くこともなく、じっくり中央でボールをかまえることができた。高原も大久保もスピードがあり、1対1の局面でも一瞬のスピードで振り切れる。中田英が攻撃の起点となり、俊輔は中田英の動きを見ながらバランスを考えつつも攻撃の起点となった。イタリアでもまれた経験が見られた。強いプレスに負けていた日本時代よりもたくましくなった印象を受けた。日本では倒れていた場面でもしっかり倒れずに次のプレーを見せていた。この試合を見る限り、中田英と俊輔は代表に欠くことのできないプレーヤーであることが証明されただろう。強豪国でもまれた経験の差をまざまざと見せ付けられた試合だろう。小笠原には辛い現実であろうが、俊輔もトルシエ体制下では辛酸をなめた。その苦しみを乗り越えたがゆえに活躍できる。
 
無得点であったが、それほど悲観すべき状態ではないだろう。パラグアイはぎりぎりのところで踏ん張ることのできるチームである。アルゼンチンやブラジルといった南米の強国を相手に戦ってきた強みである。事実、パラグアイはこの試合の前に行われたポルトガル戦でも1点も許していない。それよりも、コンフェデ杯を前に攻撃陣が良いイメージをもってプレーできたことの成果の方が大きいだろう。
 
ジーコの最初の正念場であるコンフェデ杯に向け、荒治療を施したパラグアイ戦で日本代表はさらに成長できる下地を作り出した。