読後感:田宮俊作『田宮模型の仕事』

模型。これを聞いて何を思い出すだろうか。私は、プラモデルを思い出す。とくに、小学生の頃にいろいろ作成した車なりロボットである。
著者の田宮俊作氏は田宮模型を世界のTAMIYAにまで発展させた人物である。この著書は彼の自叙伝である。

田宮と聞いて思い出すのは、小学生のころはまった「ミニ四駆」である。当時、小学生であるから、ラジコンを買う金がない。だけれども、ラジコンを作り、動かしたいという願望があった。そこで出会ったのがミニ四駆である。小学館から出版されていた「コロコロコミック」に毎月特集が組まれ、これとリンクするようにミニ四駆を作り、走らせた。ただ走らせるだけでなく、改造もした。シャーシに穴をあけ、ボディを軽量化し、スピードを極める。当時、スポンジタイヤなぞないから、オフロード使用のタイヤの突起をニッパーで切って、タイヤの表面をオンロード用にする。モーターを分解し、コイルの巻き数を多くし、パワーを増強した。果てまでは、所有のミニ四駆を同じ色に塗り、軍団を作った。そうして改造した「車」を友人たちと走らせる。学校の校庭、近所の道路、家の中。道さえあればどこでも走らせた。

このミニ四駆は小学校で卒業した。このミニ四駆を再び思い出させたのは、大学2年の時である。大学時代所属していた「学生俥屋」の夏合宿を鈴鹿サーキットで行なうことができ、しかも、サーキットの中で人力車を走らせることができたのである。鈴鹿といえばF1である。時速300KMを超えるスピードで走るF1に魅力を感じていたのも小学生時代の名残であろうか。鈴鹿サーキットで人力車が走るのは史上初だろうし、ミニ四駆もそうそうないだろう(下の写真参照)。

だいぶ話がずれてしまったが、これほど田宮のミニ四駆は私に影響を与えたといえる。このたかがおもちゃ、されどおもちゃ。おもちゃを超えたものを感じるし、実際著者もおもちゃではないと本書で述べている。

もともと、田宮は戦車などの模型キットを販売する地方の一企業にすぎなかった。戦後直後の模型キットの主流は「木」であり、プラスチックが利用され始めるのは60年代になってからである。プラスチックを模型キットに用いるのは相当な困難があったそうだ。まず、金型がないから、金型職人を探し、依頼し、金型を作る。このプロセスも著者の実体験に基いているので、非常に面白い。

また、田宮のモットーは実物を忠実に再現することにあった。したがって、海外にある実際戦争で使われた戦車の取材のシーンなどは興味深いものがある。模型に対する愛情、情熱がなければこなせない作業である。

田宮模型を世界のTAMIYAにまで成長させた著者のつづる文章は、非常にわかりやすく、臨場観にあふれている。ラジコンのモデルを何にするか、ミニ四駆のモデルをどうするのか。こうした問題も常に、大人だけでなく、子供たちの視点で設計されていることがわかる。プラモデルは世界に誇れる日本の産業であるといえるだろう。幼年時代、プラモデルにはまった読者は是非読まれたい。