洛北散策

8月11日に学部時代所属していた学生俥屋の夏合宿に合流する前に京都観光をするために早めに京都へと向かった。過去数回の京都訪問で名所という名所は行ったので、今回は行ったことのない場所へ行くことにした。
 
ただ、行ったことのない場所といっても、中学時代の修学旅行は名所という名所は全て回り、大学2年の時の俥屋の夏合宿は伏見で行なったという経緯もあり、限られたものであった。そこで、目をつけたのが本阿弥光悦である。彼は桃山時代から江戸時代きっての芸術家である。彼の草庵が洛北にあるという情報をキャッチし、行くことにした。
 
京都駅から地下鉄で北大路へ行き、北大路からバスで源光庵前で降りる。そこから数100mいくと「光悦寺」がある。光悦寺の前にくると紅葉が生い茂る歩道が目に入る。青々とした紅葉が幻想の世界にひきずりこむ感じがし、まさに現界との分かれ道というような印象を受けた。さまざまな木々が生い茂り、地面には苔が敷き詰められている。しばらくいくと、草庵から展望が開ける場があり、そこからは鷹峰三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰)が悠然として視界に入る。夏の山の素晴らしさに圧倒される。また、紅葉の光悦垣も圧巻。しかし、夏だけに紅葉とマッチしない。紅葉で彩られた光悦寺はさらに感動するだろうと思いつつ散策した。夏の木陰を感じさせるのも良いが、やはり秋だろう。また、受付には冬の情景を映した写真が飾っており、雪化粧に包まれた光悦寺の美しさも印象深いものがあった。年がら年中ここを散策できたらという淡い希望を抱きつつ光悦寺を後にした。
 
光悦寺から数100mいくと「源光庵」がある。ここは曹洞宗の寺であるが、歴史的なものもあった。すなわち、1600年に関が原の合戦があったわけだが、その直前に伏見城の攻防があった。そのとき伏見城を守っていたのが鳥居元忠である。結局、伏見城石田三成方に落とされたが、その時の伏見城の戦の跡がこの源光庵に残っていたのである。戦の跡といっても手足の付着した血の跡である。私はわりあい歴史が好きなのでそれを見たときはその時代にタイムトリップした感じがした。また、この寺には「悟りの窓」と「迷いの窓」があることで有名である。「悟りの窓」は円形の窓、「迷いの窓」は四角い窓である。パンフレットによると、四角い窓は「生老病死」「四苦八苦」を表し、円形の窓は大宇宙を表すそうだ。その窓からは庭園が見え、蝉の声を聞きながら庭園に見入ってしまった。窓から入る風と蝉の声が妙にマッチし、幽玄な趣を感じた。
 
今回は、短時間で京都を観光するという無理な計画であったが、それでもなにか少しでも京都らしいものを感じることができた。ただ、京都を観光するには二日ぐらい必要だというのは感じた。またどこか時間をみつけて散策したくなった。