日本対セネガル 観戦記

1週間前に来日したセネガル代表のおかげで、試合はナイジェリア戦よりも退屈なものとはならなかったが、いかんともしがたい退屈感におそわれた。それは親善試合だからという理由もある。しかし、それならば、なおさらテストマッチらしい試合展開になってもよいのではないか。ナイジェリアにしても、セネガルにしても、対日本戦をテストの場として見事に活用した。
 
日本はどうであったか。テストするにはお粗末な采配だった気がする。ジーコの方向性はボールポジェッションを優位にするというしばりがあるものの、選手の自律性・独創性を尊ぶというものである。
 
そういったイメージを共有化するにはどうしたらよいか。ジーコはそれを選手を固定することによって見出そうとしている。これから迎えるワールドカップ予選を見据えるならば、選手を固定することなく、さまざまな選手を組合せながら、どの選手もジーコが意図するものを試合で表現できなければならない。さもなくば、選手がケガをしたり、出場停止になったとき、替わりに入る選手がチームにフィットできない。
 
選手それぞれが国際試合で経験を共有するためには、交代枠を使い切るぐらいの行動が必要だ。国際試合ですこしでも出ることができれば、本番を迎えたときの精神面での負担は重くならないだろう。交代枠を使うことによって、選手間の競争も生まれることもあきらかだ。
 
ジーコはチームの方向性について、抽象的にしか語らない。ジーコが目指すサッカーというものを自分なりの解釈できるものの、それが極めて高い理想のように思えてしまう。ジーコの目指すサッカーは個々人の高い能力よって実現可能となる。Jリーグでプレーする中で選手それぞれが意識してトレーニングしないと可能にならない部分がある。
 
一つだけいえることは、漠然とした不安がただよってならない。格下ならボール支配できるから、勝利することはそう難しくない。世界トップ10となら負けるだろう。トップ11から20ぐらいなら互角だろう。世界ランキングが日本よりも下でも、アジア予選では、韓国、苦手とするアラブの強豪と戦わなければならない。力が均衡するなかで確実の勝利をおさめなければ本大会には進めない。均衡する試合でなにをもって勝利をするのか、そこがジーコからは分からない。